2022.03.07
医療法人社団ありせファミリー歯科ブログにようこそ。
院長の同前です。
今回は、日本人の祖先について考察したことをお話しようと思います。
私が考える日本人の祖先は、
①4万年前、後期旧石器時代に日本に来た人たち
②1万6千年前、氷河期の終わりに日本に来た人たち
③2千年前、中国大陸の戦乱から逃れて日本に来た人たち
の、主に3つの時代のグループに分けられると考えられます。
【①4万年前に、後期旧石器時代に日本に来た人たち。】
朝鮮半島南端から、船を使って日本列島南端をまわり、東京湾から上陸したと想定されます。
その根拠として、
⑴日本列島での最初の遺跡は、関東地方で発見され、また、船を作る道具である局部磨製石斧が見つかっていること。
⑵日本列島で、最初の遺跡が見つかる少し前の時代には、すでに朝鮮半島において遺跡が存在すること。
⑶日本列島の北部は、海が凍っていたと想像されるために、船での航行は不可能と考えられること。
以上から、日本列島に初めて上陸した人類は、朝鮮半島南端から船で関東地方に入植したものと、私は予想しました。
日本人と朝鮮民族が似ているのは、ここにルーツがあると私は予想しています。
海を渡った集団が、日本人の祖先となり、陸地に残って見送った集団が朝鮮民族の祖先になったと私は考えています。
【②1万6千年前、氷河期の終わりに日本に来た人たち】
縄文時代がはじまるのは、氷河期が終わり、地球が暖かくなるのと同時期です。
ユーラシア大陸南部の海岸線を船で移動しながら、海洋に人類がどんどん進出して行きました。
その人類集団は、台湾を拠点として、太平洋の各島に移住していきました。
その集団のうちの1つが、日本列島に到達して、先住民たちと合流して、縄文人となった。
私はそう予想しています。
縄文人は、海洋を往来した痕跡を残しており、相当高い航海能力を有していたと考えられています。
【③2千年前に中国大陸から逃れて日本に来た人たち】
秦帝国が中国大陸を統一する際、中国全土は大変な戦争状態になりました。
最終的には黄河流域の勢力が、長江流域の勢力を服属させて戦乱は終結しました。
黄河流域は、小麦栽培、漢字文化の民族であり、長江流域は、稲作、無文字文化の民族でした。
稲作文化を携えた、敗戦国の王族たちが朝鮮半島南端の勢力に仲介されて日本に移住した。この人たちが、先住民たちと合流した。私はそう考えています。
スマホアプリのGoogleアースで見てみると、長江河口、朝鮮半島南端、対馬が一直線にならびます。
一般的に考えられているほど、弥生時代に大量の民族移動があったとは、考えにくいと思います。
以上をもう一度まとめると、
日本人の祖先は、主にやって来た時代によって3つのグループに分けられます。
①4万年前の旧石器時代に初めて日本にやってきた集団
②1万6千年前に、南の海洋から渡って来た集団
③2千年前に中国大陸の戦乱から逃れてきた集団
もちろんこれ以外にも、日本への人類の流入はあるはずですし、現在でも、世界中の国の人が、日本に住み、日本人と結婚して、新しい日本人が誕生しています。
日本という国は、初めて人類の移住した当初から、次々と新しい集団が合流し続けたことに、特殊性があると、私は考えています。
近年のDNA解析の成果をみても、日本人は遺伝子的には、かなり多様性の高い混血集団だということがすでに証明されています。
新しい民族や文化と出会うたびに、仲良く輪になって一緒に暮らしていく。
それを4万年間繰り返してきたのが、私たちのご先祖さまたちです。
日本に生まれて日本語を話す私たちは、それを誇りに思っても良いと思います。