神戸市西区の医療法人 ありせファミリー歯科 院長ブログ
医療法人社団ありせファミリー歯科

2023.03.14

日本語推理入門②

日本語推理入門②

シャーロックホームズやアガサクリスティーなどの推理小説を楽しんでいる方は多いと思います。

限られた情報をもとにして、隠された真実を明らかにする。
それは快感をともなう楽しい知的作業です。







しかし、現実の世界では、なかなか推理を楽しむような場面は少ないです。
そうした中で、私の考え出した頭脳ゲームである「日本語推理」をご紹介します。
これは、日本語を使う方なら誰もが簡単に楽しむことができる推理ゲームです。







言語学的には、日本語には謎が多いとされています。
ということは、「謎」すなわち「推理」する対象には困らないということです。

前回は「歯磨き粉」について取り上げました。今回は「金属」について推理してみたいと思います。







「金属」を取り上げる理由は、次の3つです。
①日本語社会に金属が伝来したのが、2000年程度昔であり、日本語の歴史上では比較的若い単語であることが明確にわかっている
②金属にはさまざまな種類が存在するため、どの金属が初めに日本語社会に親しまれたのか、考古学的な知識と比較することができる
③金属は、さまざまな道具の材料であり、日本語社会に初めに伝わった金属製品を推理することができる







日本語社会に金属製品および金属加工技術が伝わったのは、弥生時代の開始時期、今から2000年以上昔です。
そのタイミングで、日本語に「金属」に関わるさまざまな「単語」が使われるようになりました。





アジア大陸およびその周辺地域では、金属製品は、中国文明をその起源とすることは、考古学上では疑う余地はありません。




中国文明では、金属を表す言葉は、「金」いわゆる「ゴールド」「黄金」です。「鉄」「銅」など、他の金属を意味する漢字は、「金」プラス「失」「同」と表記されます。金属に関わる漢字は全て部首でいえば「金(かねへん)」が使用されます。







日本語推理入門②

中国では、「黄金」が金属を象徴するものであることは、その漢字から簡単に推理できます。




少し本筋から逸れますが、中国神話で最も位の高い王は「黄帝」です。
また、太陽の通り道を「黄道」と称します。
中国文明にとって、「黄」とは、尊い色であるため、欧米諸国からの「イエロー」と言うアジア人の蔑称を、それほど蔑称に感じないような感覚があるそうです。
逆に、中国文明、漢字文化では、ホワイト、「白」は無垢、無知に通じる色として、人間に使う場合には、逆に尊い色というイメージを感じないようです。


また、「金」は苗字として使われることも多く、とても大切な扱いを受けている言葉だとわかります。



ちなみに中国語で、「金」は「キン」と発音します。その由来は、たたきあわせた時の「音」だと推測されます。


韓国語では、「金」は「キム」と発音し、中国文明と同じ言葉を共有しています。しかも、苗字に使われる頻度は、韓国の方がずっと高いようです。
韓国の5人に1人は「金(キム)」さんだそうです。









さて、中国で生まれ、韓国を経由して日本に伝えられたとされる「金属」が、はたしてどの種類の金属で、どんな形をした加工品だったのでしょうか。
私たちが普段使っている日本語をヒントに推理することで、その真実にせまっていきましょう。








中国語、韓国語では、金属は「金」
黄金であり、いわゆる物質そのものを表す言葉であり、多くの人が苗字に採用しています。
それに対して日本語における金属を表す言葉は【かね】です。



 




日本語においては、中国や韓国とは明らかに異なり、「かね」は材料でありながら「鐘」と「通貨」の意味を有する単語です。
また、「かね」とは、「黄金」を意味する言葉ではなく、別の物質です。
その理由を今から推理してみましょう。




まず、金属製品の「かね(鐘)」が日本語社会に初めに現れたのは、疑いようがなく、誰もが知っている弥生時代の象徴、【銅鐸】です。


日本語社会に初めに現れた銅鐸を見て、つけられた名前が【かね】だったと推理してみました。
鐘は、叩けば「カン」という音色(ねいろ)がする楽器です。「カンね」という名前がつけられて、その後、材料そのものを現す言葉としても使われるようになったと考えれば、いろいろなことのつじつまが合います。






日本語推理入門②

もしも、銅鐸が金属と金属を打ち鳴らす楽器なら、キンという音が鳴ったかも知れません。
実際の銅鐸は、木で叩いて音を出す楽器だと考えられており、音も「カン」または「ガン」と聞こえます。



弥生時代に日本に伝わった金属製品は、銅鐸以外に銅矛、銅剣、銅戈などがあります。また大和朝廷の象徴である銅鏡も広く普及しました。
しかし、「かね」と呼ばれた可能性があるのは、「銅鐸」だけです。



「銅鐸」は、出雲王朝が日本全国に稲作を広める際に普及させた金属製品であり、その拠点とした近畿地方を中心に大変多く出土しています。 




初めて日本語社会が金属製品を見たとき、それは鐘の形をして、「カンカン」という「ね(いろ)」を響かせていた。
そう推理するのが妥当だと思います。




それが現代まで受けつがれ、私たちは金属を「かね」と言い、金属製の叩いて音をだす楽器を「かね」と呼んでいるのでしょう。





私たちが「かね」と呼んでいるものは、もう一つあります。
それは「おかね」です。





日本語推理入門②

「おかね」は「かね」と呼ばれることもありますが、どちらかと言うと、「おかね」と【お】をつけて呼んだほうがしっくりします。





初めて日本語社会に金属が伝わったとき、それは「銅鐸」以外に、もう一つの形をしていました。
それは材料である半両銭です。
半両銭とは弥生時代に中国大陸で使われていた銅銭です。当時、日本には国産の銅は存在しません。全ての銅は、海外から輸入するしかありませんでした。半両銭がそのまま日本列島に持ち込まれて、銅製品に加工されたと考えるのが、最も自然に近いと思われます。




その、銅鐸の材料となる半両銭が「おかね」と呼ばれていたのが、日本語で通貨を意味する「おかね」の由来であろうと、推理してみました。




以上から、「かね」は、日本語社会に伝わった時点で「青銅」英語なら「ブロンズ」だったと推理されます。
便宜上「銅」と呼ばれていますが、正確には、物質としての純粋な銅ではありません。合金である青銅、ブロンズを、日本語社会では、「かね」と呼ぶようになったようです。
特に金属を区別したいときは、
「しろがね(銀)」「あかがね(銅)」
「くろがね(鉄)」「こがね(黄金)」
というように、色で区別する特徴が日本語にはあります。





次に、金属にまつわる他の単語、「鋳る(いる)」「鋳型(いがた)」について考えてみたいと思います。



【鋳る(いる)】
熱してとかした金属を型に流し込み、固めて器物をつくることを言います。日本語には少なくとも数万年の歴史があるはずですが、ほんの2千年前に使われ出した単語が、これほどシンプルな理由はなぜなのでしょう。

日本語には、「くも」「あめ」のように、同音異義語が数多くあります。
「いる」にも、「鋳る」以外に、「居る」「入る」「要る」「射る」「炒る」と、5つの違う意味があります。
当時の日本語社会は、なぜ、さらにややこしくなるような名前を採用したのでしょう。
このことも、日本語推理によって、真実を明らかにしてみましょう。




【炒る・煎る(いる)】
材料を火にかけて、動かしながら水気が少なくなるまで熱することを言います。
この「炒る」は、「鋳る」と非常に似ています。
2000年前の当時の様子を想像してみましょう。半両銭を専用の鍋などで、動かしながら火にかけて熱して溶かして、青銅を加工したはずです。
それは、豆などを炒るのとそっくりな動作だったでしょう。
「炒る」に似ているから、金属を溶かして、鋳型に流し込むまでを「いる」と呼び表すようになった可能性を検討してみましょう。

しかし、よくよく考えてみると、「炒る」は、金属製の調理器具がなくては成り立たない動作です。
水分を飛ばしながら加熱しようとすれば、水が沸騰する摂氏100度以上に耐える調理器具がなくてはなりません。
ということは、「炒る」から「鋳る」が生まれたのではなく、先に「鋳る」という言葉が作られたと推理出来ます。その後に「鋳る」をもとにして、「炒る」という言葉が作られたと考えるのが妥当です。




では、「鋳る」は、どのような考えから作られた言葉なのでしょう。
他の「いる」で、その語源として最も可能性の高いものは、「入る」だと私は予想しました。
まず材料の半両銭を溶かして、鋳型に流し込む。
その最後の「入る」の動作で、一連の工程を意味するようになったのが、「鋳る」の語源だろうと、私は推理してみました。


そして、鋳ることで作られた金属製品を「鋳物(いもの)」とよばれ、溶かした青銅を流し込む型、すなわち「入れる」型を「鋳型(いがた)」と呼ぶようになりました。











弥生時代と古墳時代にかけて、日本で発見される青銅製品は、その材料は全て中国大陸の半両銭が材料だったはずです。
日本中から出土する膨大な青銅製品を考えてみると、当日の中国では、なぜか貨幣が大量に消えてしまい、流通量が常に不足するという問題を抱えていたはずです。
しかも、おそらくその原因は特定できなかったでしょう。
まさか日本に送られて、溶かされて銅鐸にされているとは思いもよらなかったと思います。




また、日本語社会において、はじめて国産の銅が発見された名残りは、日本語の中に記録されています。
「和同開珎」という最古の国産貨幣です。
西暦708年に、純度が高く精錬を必要としない銅を産出する鉱山が発見された事を記念して、大和朝廷は元号を和同に改めました。
また、記念硬貨として「和同開珎」を発行したとされています。


和同開珎は、当時の状況を考えると、本気で通貨として流通させようとしていたとは考えにくいです。
現在でも行われている記念コイン発行の、まさに元祖だったと考える方がよっぽど自然です。


また、今の日本に例えると、油田が見つかったのと同じくらいすごいことでした。銅を輸入する必要がなくなり、中国文明に対する依存性が低下します。




そして、和同開珎を発行した3年後には平城宮遷都が行われ、本格的な奈良時代が始まりました。







日本語推理入門②



私たちが普段、あまり意識しないで使っている日本語ですが、掘り下げれば、さまざまな歴史が明らかになります。
今回は、「金属」をあらわす日本語「かね」について推理してみました。
日本語推理、いかがだったでしょうか。

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