神戸市西区の医療法人 ありせファミリー歯科 院長ブログ
医療法人社団ありせファミリー歯科

2022.06.06

【水銀の歴史】

【水銀の歴史】

【水銀の歴史】

日本で「水銀」が利用されはじめたのは、今からおよそ4500年前、縄文時代中期頃と考えられています。

大阪府寝屋川市讃良川遺跡には、水銀を使用した痕跡が見つかっています。

中国大陸で水銀が使われ出したのは、日本よりも数百年の後の時代、今からおよそ4000年前と考えられています。



「水銀」は、自然界では辰砂(しんしゃ)と言う赤色の石の状態で採取されます。

潰して粉々にすることで、赤色の顔料として利用されていました。
讃良川遺跡でも、水銀を利用した赤色の耳飾りが発掘されています。


赤い色の顔料として以外に、中国では不老不死の薬と信じられた時代もありました。


秦の始皇帝の時代には、中国では不老不死の薬である辰砂の産地が、東の海の果てに存在すると考えられていました。



日本語では、古くから「に」と呼ばれていました。
日本での水銀の産地として有名なものに、丹生鉱山(にうこうざん)
があります。
文字通り、「に」を「産む」鉱山という名前です。


また、日本には、「にうつひめ」という名前の神様がいます。
アマテラスの妹とされています。


中国大陸では、「辰砂(しんしゃ)」の中でも特に赤い顔料の原料になるものを「朱砂(すさ)」と言うそうです。

日本でも、現在では「朱砂(すさ)」と呼ばれます。
「スサノオ」の「スサ」は、もしかしたら「水銀」と関係があるのかも知れません。




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