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医療法人社団ありせファミリー歯科

2024.04.06

日本の栗の話【石器時代の品種改良】

日本の栗の話【石器時代の品種改良】

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日本の栗の話【石器時代の品種改良】

院長の同前です。













考古学的な発掘調査により、3万5千年前には日本列島には人類が生活していたことが判明しています。









日本の栗の話【石器時代の品種改良】


今からおよそ2万年ほど昔の後期旧石器時代の後半期、長く続いていた氷河期は終わりにさしかかり、日本列島は温暖な気候に変化していきました。


極寒で、常に厚い氷や雪に覆われた土地であれば、食肉を腐らせる心配がありません。人口密度が低くて、ナウマンゾウなどの大型哺乳類が多く生息していた時代では、長い冬に食肉が不足したり、傷んでしまう心配はなかったはずです。
しかし、氷河期が終わり、気候が比較的暖かくなると、寒冷地に適応していた大型哺乳類は絶滅していき、また冬の間の肉食の保存も困難になってしまいます。

日本列島で生活していた人たちは、気候の変動に伴い、冬の間の食糧を確保するための、新しい方法を考える必要にせまられました。
いわゆる、越冬食糧の変化が必ずあったはずです。

氷に覆われた氷原では、食肉は腐らせることなく、保存することができます。
しかし、冬の間に氷が溶ける気候に変化した場合には、食肉は腐る心配がありますが、栗などの堅果類の栽培が可能になります。














日本の栗の話【石器時代の品種改良】


縄文時代が始まったのが、1万6千年前あたりと考えられているようです。すなわち、氷が溶けて、海を渡って新しい人類が日本列島に渡来した時代です。
しかし、それ以前から日本列島に生活していた人類は、冬を乗り越えるために、いろいろな工夫をしていたはずです。その一つとして、長期間の保存可能な栗をはじめとした、堅果類の栽培、品種改良を行ったはずです。







その研究をされた研究所がありました。【農研機構】という施設です。
研究者の先生たちの研究成果から、現在、日本で見られる「栗」は、次の4種類の遺伝子グループに分類されることがわかったそうです。
「九州栗」「西日本栗」「東北栗」
「栽培栗」
そして、それぞれの詳しい遺伝子解析が行われました。



日本列島に存在する栗の遺伝子は、5万年前に九州地方に持ち込まれたらしいこと。
その後、今から約2万年前に、西日本、東北、栽培用の3種類に遺伝子が変化したそうです。
そして、それがそのまま現在まで4種類の栗として伝わっているそうです。





日本の栗の話【石器時代の品種改良】

5万年前に、栗はまず九州に持ち込まれて、遺伝子を変異させながら環境に適応した種類が定着していたと解釈できます。
その後、日本列島の気候の変化とともに本州に持ち込まれ、西日本と東北地方に
適応した種類が生き残りました。
2万年前に、「九州栗」から分化したのは、「西日本栗」「東北栗」だけでは無く、同時期に第4の栗「栽培栗」も誕生して広まっています。


「西日本栗」と「東北栗」は、もともと「九州栗」を祖先とする遺伝子配列だそうです。
「西日本栗」と「東北栗」は、それぞれの地方に適応した遺伝子が残ったのでしょう。


さらに不思議なのは、4番目の栗「栽培栗」です。
現在でも、日本中で食用にする目的として栽培されている栗です。

この栗は、遺伝子研究の結果、
①今から2万年前に、
②この日本列島で
③人間によって選別されて、栽培されながら日本列島に広まった
④その栗は現在も栽培され続け、私たちも口にしています。









【まとめ】
①5万年前に比較的温暖な九州地方に持ち込まれていた。
②そして、2万年前に、本州や東北の氷河が溶けて、栗の栽培に適した気候になるのに合わせて、植樹と品種改良が行われて遺伝子の変化が起きて定着した。
③氷河期が終わり、温暖な気候に変化した日本列島で、人類が適応して存続した。
④その際に品種改良された栽培種の栗は、現代まで途絶えることなく、栽培されつづけている。






縄文時代が始まるよりも、4000年くらい昔のことになります。







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