神戸市西区の医療法人 ありせファミリー歯科 院長ブログ
医療法人社団ありせファミリー歯科

2020.10.14

日本最初の人類とその言語

日本最初の人類とその言語

縄文時代よりもまだ遥か昔から、日本には、人類の生活していた痕跡が発見されています。

縄文時代の開始が今からおよそ1万5千年前だとすると、それよりもさらに2倍の3万年前だとされる遺跡が日本国内で発見されています。
人骨は残念ながらほとんど見つかっていませんが、石器などの道具類は数多く発掘されています。





現生人類は、今から10万年前にはすでにアフリカ大陸で誕生しており、その後、今から3〜4万年前には、最初の人類が日本地域に到達しました。
(「日本列島」と言いたいところですが、氷河期では、本州四国九州が陸続きだったこともあるので、このブログでは「日本地域」と表記しています。)



日本地域内の最も古い遺跡の一つは、群馬県赤城山麓で見つかっています。

今後もさらに古い時代の遺跡が新しく発見される可能性はあるものの、2020年の時点では、日本地域最古の人類の痕跡(こんせき)です。

同時期の代表的な遺跡は他にも、北海道、秋田、千葉、栃木、長野、熊本など、ほぼ日本中で見つかっています。

今から約3万年前の、この時代の遺跡群から発見された石器などの道具類を考古学者たちが分析したところ、【使われている石の種類】【石器の形】【加工方法や加工技術】が、日本中どの遺跡もそっくり同じだそうです。

時代区分の呼び名は、後期旧石器時代のうち、I期(後期旧石器時代は I期からⅥ期まである)とされています。




【旧石器時代】という学術用語について、簡単に解説します。







【前期旧石器時代】は、330万年前から30万年前の時代、
【中期旧石器時代】は、30万年前から5万年前の時代、
【後期旧石器時代】は、5万年前から開始したとされています。
(各年代の開始時期は、専門家の間でも諸説あり、多少の変動が今後あるかも知れません。)


私たち人類は、学術用語では、ホモ・サピエンスという名前で分類されます。
アフリカ大陸で産まれたのが早くても15万年前とされています。
(こちらも、専門家の間でも諸説あります。)


こうした事を踏まえると、私たちの直接の祖先は、10万年前まではアフリカにいたはずで、それ以降に世界中に拡散したと考えられます。
日本地域での私たちの直接の祖先を考えるとき、
日本地域に到達したであろう3万年前の後期旧石器時代がスタートになります。

もしも、今後仮に日本で100万年前の人類の痕跡が発見されたとしても、それは私たち人類の祖先とは関係ない別の旧人の遺跡と考えられます。









私たち人類は直接の祖先は、10万年前には、すでにアフリカで誕生しており、その後世界中に広がって行きました。

日本地域には3万年前には到着しています。
これが日本後期旧石器時代のはじまりと考えられています。
この後期旧石器時代は、その後、縄文時代の開始までの1万5千年間続きます。



日本において新石器時代は、縄文時代と呼ばれています。
縄文時代の開始は早くても、今からおよそ1万5千年前だと考えられているため、
日本地域における人間の歴史の約半分が、3万年前に始まった旧石器時代が占めることになります。





日本後期旧石器時代I期の遺跡では、日本中のどこでも同じような石器が見つかることから、
同じメンバーがあちこち移動していたのか、それとも複数のよく似た集団が日本中にいたのか、
どちらにしても、近い血縁のグループが1種類のみ存在していた可能性が高いと考えられます。

その後、日本後期旧石器時代II期以降になると、各地域ごとの特徴がはっきり見られるようになります。

これは、Ⅰ期の子孫たちが数千年かけて別々の人間のグループに分かれて行ったのか、
それとも新しい人間のグループが日本地域にやってきたのかのいずれかの可能性が考えられます。




日本地域の旧石器時代が開始されるI期には、世界中の他の地域のどこにも見られない、日本にしかない特徴が2つあると言われています。

日本最初の人類とその言語

それは、
【初めから「磨製石器」が存在する】
【複数の家を丸を描くように配置して建てる】
この2つです。

専門家たちの間では、たいへん珍しい現象だとされています。
詳しく知ると、確かにスゴイことなのですが、何が、どうすごいことなのでしょうか。





【初めから「磨製石器」が存在する】
私たち人類の直接の祖先、ホモ・サピエンスが初めに発明した石器、それは涙の形をした、手のひらサイズの「ハンド・アックス」という道具です。

少し前に、神戸市立博物館でも、大英博物館展が行われ、そこで展示されていました。

このハンド・アックスは一つあればいろいろな場面でいろいろな役割をこなすことが出来る万能石器とされています。
携帯にも便利です。
当時のヒトたちが、もし現代日本語を使うとしたら、ハンド・アックスは「ケータイ」と呼ばれたかも知れません。


このハンド・アックスは、石と石をぶつけて形を整えながら作られた石器でした。
打製石器(だせいせっき)と呼ばれる道具です。

打製石器は、主に動物の狩りをする道具だったり、動物を解体する道具として使用された形跡が認められます。



石器が発明されたのち、数万年の間は、ずっと打製石器しか存在しませんでした。これは日本地域を除く、世界中で見られる現象です。


その後、人類が定住生活を開始し、旧石器時代から新石器時代に移行するときに、世界中で「磨製石器(ませいせっき)」が使用されるようになりました。




磨製石器の代表的な道具は、「磨製石斧(ませいせきふ)」です。

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主に木を切る道具です。木を伐り倒して平地を広げたり、切った木を大きな建物を作る材料にしたり、
また、船を作る材料にするための道具として、磨製石斧は無くてはならない道具です。

今から1万5千年前、初期の農耕が開始された新石器時代の始まりと同時期から、磨製石器は世界中で使用されるようになりました。


その磨製石器である磨製石斧が、日本地域の旧石器時代の初めにおいてのみ確認されています。


しばらくして使われなくなり、また1万年以上して再び使われはじめます。


これが何を意味するのかは、専門家たちの間でも意見の統一は今のところなされていません。


船に乗ってやってきて、その後、船を使わなくなったと考える事もできるかも知れません。










次に、日本地域における旧石器時代のもう一つの特徴である【複数の家を丸を描くように建てる】についてご紹介します。


【複数の家を丸を描くように建てる】
3万年前に初めて日本地域に到達した人類集団は、仮に何軒の家を建てることになっても、
一つ一つの家が全体で輪を描くように配置しました。


家の数が少なければ、小さい輪に、
家の数が多ければ大きな輪になります。


考古学的な学術用語では、「環状集落」と呼ばれています。
わかりやすく言いかえると、
【皆んなが(わ)になってできた村】
と言うことです。

日本最初の人類とその言語

旧石器時代は、人類は洞窟に住んでいるという、勝手なイメージを私は持っていました。

なので、当時の人たちが、ちゃんと家を建てて住んでいたことにまずビックリしました。

群馬県の下触(しもふれい)遺跡では、1軒に5人くらいの住める家が20軒くらい見つかっています。
その家々が、丸の形をした配置になっています。




この環状集落の住人たちが、どんな言葉を話していたのかは、当然確認する方法はありませんが、
私たち現代日本人の言語で言い表すなら、みんなで「わ」になって暮らしていた事は確かなようです。

しかも、世界中でこんな集落の形が作られたのは、日本地域だけだと言うことです。









現代日本人が生きていく上で最も大切にしているものの一つが、「わ」である事に異議のある日本人は少ないと思います。


☆もともと日本人たちは、紀元0年頃、外交の場面において自分たちのことを「わ」と名乗っていた。

☆奈良時代、ヤマトに住んでいた人たちは漢字表記を「大和」とした。
明らかな当て字ですね。


☆現代日本においても、「和」は日本を意味する。
(例)和訳、英和辞典、和英辞典
和歌、和紙、和室、和製、和服、和風、
和名、和式、和食

日本最初の人類とその言語

☆和(わ)をもって貴しとなす。
日本人なら誰もが知る名言です。

☆世界に広げよう、友達の輪(わ)
有名なキャッチフレーズです。

☆WAになって踊ろう
そんなタイトルのヒット曲があります。



現代日本語でも、
「みんなで輪をつくる」
「みんなで輪になる」
「輪の中に入れてもらう」
「輪から外れる」
「輪からはみだす」
「和をみだす」

私たちは無意識に当たり前のように使っている「わ」と言う言葉は、
実は私たち日本人にとってとても大切なものです。

この、「わ」と言う言葉には、「丸」「円」「環」という文字通り【丸い形】を意味があります。
それだけではなく、「わ」という言葉には、【みんなでつくる人と人のつながり】という意味もあります。



現代においても、みんなで文字通りの輪になる場面があります。
それは、盆踊りです。

盆踊りは、仏教と関連したイベントと考えている日本人は多いと思います。
もともと仏教は「解脱して悟りを開く」ことを目的として修行するという宗教であり、本来なら祖先をまつることはありません。




インドで生まれた仏教は中国人によってサンスクリット語から漢字に翻訳されました。日本へは、漢訳仏教が伝わりましたが、漢訳仏教にすら、祖先を大切にするという教えはありません。

お坊さんの唱えるお経にも、ご先祖さまと関係するものは一切ありません。



いや、そんなはずはない、「盂蘭盆(うらぼん)」という行事がある
そういう反論をする方はかなり仏教にお詳しい方です。

「盂蘭盆」は、「木蓮尊者という聖者が自分の母親が餓鬼道に転生したのを救う」というストーリーが描かれた「盂蘭盆経」というお経が元になったイベントです。

明らかに、仏教のテイストにそぐわないこのストーリーは、お釈迦さまが亡くなられたずっと後に中国で作られた偽物のお経だとされています。

今でいう人気マンガやアニメの2次創作のようなものと言えるかも知れません。



この「盂蘭盆経」ですら、餓鬼道に堕ちた母親を救うストーリーであり、祖先の霊を年に一度この世に迎える話ではありません。


もともと、日本には、大昔から年に一度ご先祖さまの霊を迎える行事があって、それが後から日本に伝わった仏教のイベントと融合したものと、現代では考えられています。


この「お盆」ですが、「盆踊り」には、
必ず輪になります。





「輪」の形になったとき、私たちの誰かが最初でも最後でもありません。
いわゆる上下関係などは存在しません。
誰もが平等で、みんながお互いのみんなを見ています。

新しい人が入ってきても、輪を少し大きくすれば、簡単に仲間に入れることが出来ます。



ご先祖さまの霊の前では、この世の人たちは、上も下もなく、みんな等しく平等だと、そういう事だ解釈することも出来るのではないでしょうか。




日本語の「【わ】に入る」という言葉は、「全員の承諾を得て仲間になる」という意味です。
また、日本語の「【わ】を乱す」とは、「全員の迷惑になる行為」であり、日本人が最もしてはいけないと考えている行為の一つです。




私たち日本人は、例外はあるかも知れませんが、そのほとんどが生まれた時から日本語を使う運命にあります。

日本語を覚えていく内に、無意識に、「わ」の大切さを学んで行きます。

「わ」とは丸い形であると同時に、
人と人とのつながりを意味します。
また日本人は自分の国のことを今でも「わ」と呼んでいます。






私たち日本人が、【みんなでつくる人と人のつながり】を「わ」という音で表現し、日本のことを「わ」と呼ぶようになった理由とは、どのようなものなのでしょうか。






それは、実際に大昔の時代に、日本語を話していた人たちが、輪を描くように生活していた名残ではないか、
そう想像することは、案外検討外れでは無いかも知れません。






もしそうだとしたら、今から3万年前に現代日本語の原型がすでに生まれていたとして、その時代に世界のどこかで実際に使っていた人たちがいたとするならば、それは、すでに日本に到達した
【輪の形になって暮らしていた人たちの集団】
だったかも知れません。

なぜなら、【わ】になって暮らしていた人たちは、当時の世界中に、日本地域にしか見つかっていないからです。



☆人が集まると「わ」になる。
☆みんなで「わ」をつくって仲良くする。
☆新しい人が来たら「わ」に入れる。
☆「わ」を乱さないよう気をつける。
☆「わ」を持ってたっとしとなす。
☆日本人が自分の国のことを「わ」と呼ぶ。


英語だと「circle サークル」にも、丸い形という意味と、趣味などの集まりという意味がありますが、どちらかというと、一部の人たちだけでつくる閉鎖された集団というニュアンスのようです。
日本語の「わ」の持つ意味とは違うように感じられます。


日本後期旧石器時代I期の人たちが、現代の日本語につながる言語を使っていた可能性が推測されるもう一つの事例については、以前ブログでも紹介していますが、改めて簡単にお話します。

日本語では、「葉」と「刃」を同じ「は」と発音します。
日本後期旧石器時代に、当時使われていた刃物が、植物の葉とそっくりな形をしています。
そのため、当時の人たちが「刃」と「葉」を同じ名前で呼んでいた可能性は高いと予想されます。

その名残が、現代日本語まで引き継がれているのではないかと推測することは可能だと思います。





縄文時代よりもさらに1万5千年前、
今から3万年前に初めて日本に到達した人類の集団、
初めから磨製石器を持ち、輪を描くように村をつくって暮らした人たちは、もしかしたら、私たちの今日使っている日本語の元になる言語を使用していた人たちなのかも知れません。

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