2024.08.03
今回は鳥居の謎について考察します。
日本では至るところで、当たり前のように鳥居が存在しています。
日本文化、日本語が存在する地域には、必ず鳥居が存在します。
逆に、鳥居がなければ、そこは、日本語が通じない、日本語文化が存在しない。
そのくらい、鳥居とは、日本人、日本語、日本文化と密接に関係しているものです。
それほどまでに、日本文化を象徴するものでありながら、「鳥居」が置かれている理由や、「鳥居」が何を意味しているかは、実はよくわかっていないそうです。
今回は、「鳥居の謎」を推理してみたいと思います。
鳥居は、神社の入り口に設置されるのが一般的です。日常生活とは切り離された神聖な場所だということを、訪れた人に伝える役割を果たします。
私たちが鳥居に感じるイメージは、
「この世ではない場所。神社に祀られている神様たちの住む世界」の入り口です。
石器時代や縄文時代には、鳥居の遺構は見つかっていないようです。鳥居が作られはじめたのは、少なくとも、弥生時代以降のようです。
弥生時代には、稲作の伝来とともに、人を殺傷する武器も日本に伝わりました。
その影響もあり、日本各地で集落どうしの戦いが起きたと考えられています。
戦闘が起きた時、非戦闘員である女性や子どもたちが安全に避難できる場所として、神社が機能していたのではないか、と私は想像しています。
いつ、どんな時でも、誰もが一目で神社だとわかるような目印として、「鳥居」は設置されています。
日本中至るところに神社が存在します。
日本文化圏では、天皇家の始祖とされる天照大神が祀られている神社であれば、その境内において、仮に戦時でも、非戦闘員の命を奪うことがあってはならないと言う、暗黙の了解があるように感じます。
さて、あなたがその時代にタイムスリップしたとしたら、神社の敷地を意味する目印を、どのようにデザインしますか?
当然、さまざまな意見があると思いますが、当時の時代の人たちは、日本人全員が一目でわかる合図として、「鳥居」を選択しました。
「天(あま、あめ)」の世界を意味するシンボルです。
日本に、一般に広く文字(漢字)が普及するのは、奈良時代以降、聖徳太子の時代です。
それよりも古い時代では、日本において、漢字はごく一部の人しか知らないものでした。
私は漢字に精通した人物が、漢字の「天」を立体的にデザインして、門のようにあしらったのが、「鳥居」ではないかと考えました。
一度、そうしたイメージを持って「鳥居」を眺めると、「鳥居」が「天」の文字にしか見えなくなってしまいます。
以上、鳥居の謎に関する考察でした。