2024.07.05
医療法人社団ありせファミリー歯科ブログにようこそ。院長の同前です。
私は高校を卒業したのち、1年間の浪人生活を経て、平成7年4月に岡山大学歯学部に入学しました。
この平成7年は、阪神淡路大震災の発生した年であり、また神戸を本拠地とするサッカーJリーグのヴィッセル神戸が発足した年でもあります。
私は、大学時代に柔道部とラグビー同好会、そして歯学部サッカー部に所属していました。
岡山大学歯学部サッカー部が岡山県大学サッカーリーグの2部に参加していたこともあり、ジャパンフットボールリーグのボランティアの要請を受けることがありました。
この平成7年は、阪神淡路大震災の影響で、発足したばかりのヴィッセル神戸が、練習拠点を倉敷市に移してしました。その関係で、平成7年9月17日に、ヴィッセル神戸のホームゲームが岡山市で開催されることになりました。大学生サッカーリーグに医療サポートの担架係の要請があり、私もボランティアとして参加する機会に恵まれました。
対戦相手は東京ガス、現在のFC東京です。
担架チームは2組作られ、私は第二チームのメンバーとして、試合中はフィールドのサイドラインのすぐ近くで待機していました。
下に、当時のメンバー表を掲載します。
幸い、試合は双方のチームに大きなケガ人がでることもなく、私が活躍する機会もないままに終了しました。
試合は、移籍したばかりの永島選手の活躍もあり、2対1で、ヴィッセル神戸が勝利しました。
私にとって、至近距離で、ハイレベルな試合を観戦する素晴らしい機会になりました。
その試合で、ひときわ目立っていたのは、選手ではなく、対戦相手である東京ガスの大熊清監督でした。
大熊監督は、試合中にライン際ギリギリまでフィールドに近づき、大声で味方選手を指示する、というよりも応援してしました。また、良いプレーには全てにナイスプレーと声をかけ、うまくいかないときは、ドンマイドンマイとなぐさめ励ましていました。その一方で、相手選手に激しくヤジをとばしたり、審判に不満を言ったりしているように聞こえました。
観客もほとんどいないような試合会場でしたが、とにかく大熊監督の熱量が、最も印象に残る試合でした。
先程、お伝えしたように、ヴィッセル神戸は勝利し、東京ガスは負けました、
試合直後に私がトイレに行った際に、ちょうどタイミングよく大熊監督と一緒になりました。
私がとっさにサインをお願いすると、負けたばかりでそう言う気持ちにはなれないとのお返事でした。
私は、大熊監督の戦う姿勢に感銘したことと、東京ガスのファンになったこと、これから東京ガスを応援すると伝えました、
すると、大熊監督が、じゃあ特別にと、メンバー表の裏にサインしてくれました。
それが、こちらです。
その時に、その場にいた小島武志選手もおまけでサインしてくれました。
それから30年経ち、ヴィッセル神戸も東京ガスもJリーグを代表するチームに成長し、また大熊清監督も指導者として大変活躍されています。
今となっては、ヴィッセル神戸とFC東京の試合となれば、何万人もの観客が観戦に訪れます。そんな試合をライン際で観戦したことが、私にとって大変な貴重な経験だったと、改めて思い出されます。
しかし、試合内容に関しては、とにかく大熊清監督が、自分のチームに大声援を送り続けていた姿しか、私の記憶には残っていません。