2024.12.27
医療法人社団ありせファミリー歯科ブログにようこそ。院長の同前です。
今回は人類史、7000年前の縄文時代の話題です。
遺伝子研究が進歩したことで人類史において不思議な出来事が起きたことが判明しています。
それは、約5000年前~約7000年前の間にアジア、ヨーロッパ、アフリカに住む男性の大半が子孫を残せなかったそうです。男女の割合が、17人の女性に対し、1人の男性しか、子孫を残せていなかったことがわかっています。
女性に対する男性の比率が一時的に極端に少なくなったことを、男性特有の遺伝子である「Y遺伝子(Y染色体)」が、ボトルのネック(くびの部分)のように少なくなっているように表現されて、【Y遺伝子(Y染色体)のボトルネック】と言われています。
「なぜ、このような状況に陥ってしまったのか?」
という疑問に多くの研究者を悩ませることになりましたが、スタンフォード大学で遺伝学の教授を務めるマルクス・フェルドマン氏らの研究で2018年に理由が発表されました。
「それは、1人の男性が17人の男性を殺害して、18人の女性を妻にして子孫を作った。さらに、この現象が地球上のありとあらゆる場所で起こった。」
というものでした。しかも、世界的な学術会議で正しいとされているようです。
いくらなんでも。
そんなことがあるはずがありません。
私はこの記事を読んで、世界中の人たちの誤解を解かなくては、と考えました。
7000年前といえば、日本では縄文時代にあたりますが、幸い、日本列島では、貝塚の存在によって多くの人骨が残されている時代です。
そして、貝塚から発見される人骨を見る限りでは、1人対17人の比率で、男性だけを対象にした受傷人骨の事実はありません。
まずは、可能性として高いと考えられるのは、多くの男性が「亡くなった」のでは無く、「生殖能力が弱まった」が正解ではないでしょうか。
その「男性の生殖能力」が、人類全体、地球規模で17分の1、すなわち6%まで低下していた、というのが、揺るぎない事実です。
まずは、そこから推理を開始してみたいと思います。
考古学や人類史に興味のある方は、ご存知かも知れませんが、7000年前といえば、過去一万年で世界最大の火山噴火とされる「鬼界カルデラ噴火」が起きた頃です。
この鬼界カルデラとは、九州南端から50キロメートルほど南に位置する海底火山です。
7000年前の大噴火では、火山灰が世界中を覆い、かなり長期間に渡って、太陽光がさえぎられ続けたと考えられています。
北アメリカ大陸の先住民族のインディアンの一族である「イロコイ族」には1万年に及ぶ歴史伝承が伝えられていますが、その中には、今から7000年に、火山の大噴火により、避難を余儀なくされたとの物語があるそうです。
そんな天変地異の起きた頃に、1人の男性が17人の男性を世界規模で殺害するでしょうか。
絶対にありえません。
とにかく、はっきりと言えるのは、人類全体で男性の生殖能力が【6%】まで低下したということ。またその当時、日照時間が極端に少なくなっていたという事実です。それこそ、日照時間が【6%】まで低下していたのかも知れません。
と、いうことは、日照時間が極端に少なくなった場合には、もしかしたら男性の生殖機能が落ちる可能性があるのかも知れません。
そう予想して、検索すると、見つかりました。脊椎動物において、日照時間が多くなることで、オスの生殖能力を高める遺伝子が「ウズラ」の研究から、すでに明らかになっているそうです。
リンク【日照時間とオスの生殖能力の研究】
↓↓↓↓↓
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sobim/35/4/35_251/_pdf
あくまで、素人の勝手な仮説ですが、7000年前の地球規模に起きた「Y遺伝子(Y染色体)のボトルネック現象」の原因は、鬼界カルデラ噴火による日照時間の減少。またそれによって起こった男性の生殖能力の低下が原因では無いか。
そう、私は考えました。
そして、日照時間に左右されなかった男子のみの子孫が残ったことにより、現代においては、人類は日照時間にそれほど左右されることなく、男性は生殖能力を維持できていると言う推論も成り立ちます。
ここまで考えたところで、実は世界中に、ひとつだけ、「鬼界カルデラ噴火」の影響を受けなかったY遺伝子(Y染色体ハプロタイプ)が存在する可能性があります。
それは、7000年前に起きた「鬼界カルデラ噴火」よりもさらにさかのぼること2万年。いまからおよそ3万年前に起きたとされる「姶良(あいら)カルデラ噴火」をすでに経験して生き延びた日本人たちです。
姶良カルデラ噴火とは、今からおよそ3万年前に日本列島全域に火山灰が降り積もった火山の大噴火です。この「姶良カルデラ」とは、九州の南端、鹿児島湾に囲まれた海底火山の付近を指す言葉です。
この時の大噴火では、全地球規模ではありませんでしたが、本州と九州四国にまたがって、相当な量の火山灰が降り積もったようです。
Wikipediaに詳しく記載されています。
下にリンクを貼っておきます。
↓↓
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/姶良Tn火山灰
古事記にある「天の岩戸」伝説は、太陽光の長期間にわたる遮断を今に伝えるものだという解釈が成り立ちます。
古事記の伝承によると、「太陽」の化身である「アマテラス(天照らす)」を呼び戻すために行った幾つかの方法が、今に伝えられています。
その方法を以下にまとめます。
①ナガナキドリ(ニワトリ)を鳴かせて、朝が来たことを「アマテラス(天照らす)」に伝える
②地上の神たちが全て集まって、大宴会をもよおす。
③その宴会の主役は半裸の踊り子のアメノウズメが、賑やかな音楽に合わせて激しく踊る。
④それを見ている神さまたちは、大喜びで大歓声を上げる。
その中でも、不可解だとされているのが、③のアメノウズメです。古事記の中でもあまり品の無い場面だと考えられています。(このブログにも、詳しく記載することがはばかられる内容です。)
しかし、太陽光が遮断され、日照時間が極端に少なくなったときに、もしも男性の生殖能力が極端に下がっていたとすれば、、、、。
男性の生殖能力を高める目的として、アメノウズメの踊りを行ったのは、当時の時代の切実な願いと祈りの結果としては、全く妥当だと言えるのかも知れません。
もしも、わたくしの述べた仮説が正しいと仮定すれば、全地球規模の日照時間の低下の起きる、そのさらに2万年以上前に、すでに日本列島では、Y遺伝子(Y染色体)のボトルネックを経験し、克服していた可能性があります。
その経験は、古事記に残された「天の岩戸」伝説に、記録されたものなのかも知れません。
もしもそうだとすれば、日本列島に約3万年前に居住していた人間集団は、現代日本人である私たちと同じ日本語を使っていた可能性が極めて高いと考えられます。
なぜなら、「天の岩戸」伝説は、日本語によって記録されているからです。
そして、私たち日本人は、国号を「日本」すなわち「太陽」と定め、国旗を「太陽」を図案化した「日の丸」にしています。
また、「太陽」を「お日様」と日頃から呼んでいます。
「お+日+さま」という、日本語における最上級の尊称です。
世界的に見れば、太陽は暑苦しすぎて、崇拝の対象としては、最高神の扱いを受けることは、案外、珍しいようです。
日本では、神々の中でも、最も貴いとされているのは、太陽神「アマテラス」です。
日本語を使って生きていることで、無意識に「太陽」が至上のものだという意識が、私たちに深く染み付いているように感じます。
自分たちを「日本人」と何気なく言っている私たちですが、実はそれは「太陽人」と言う意味でもあります。
さらに、「日本国」は「太陽国」、「日本語」は「太陽語」、「最高神天照皇大神」は、「太陽神」、国旗「日の丸」は、「太陽旗」です。
当たり前すぎて、気にも留めずに生きている私たちですが、きっと世界的に見れば、大変な「太陽推し」の集団と言えます。
その、世界的にも稀な「太陽推し」の根元になったのが、【鬼界カルデラ噴火】に先駆けて起きた、【姶良カルデラ噴火】ではないかと考え、以前にこのブログでも紹介しました。
そして、現代では日本列島にしか確認されず、日本列島全域に分布しているY遺伝子(Y染色体ハプロタイプ)であるC1a系統が、その3万年前に天の岩戸事件を経験し、日本語に記録した集団だと、私は予想しています。
現代日本人には、C1a系統の5%程度の遺伝子が受け継がれているそうです。
不思議なことに、岡山県と長崎県での割合だけが、10%近くあると言う研究データがあるそうです。
岡山県と長崎県に共通するのは、諫早湾と児島湾という、数キロ以上歩いてわたることのできる遠浅の海の存在です。
火山の噴火と火山灰の影響については、ここまでの文章で、次のことに言及しました。太陽光の遮断、日照時間の低下、男性生殖能力の低下。
そして、もう一つ、確実に起きたと考えられるのが、大気中のCO2濃度の上昇です。
大気中のCO2濃度が上昇すれば、温室効果ガスによる気候の温暖化が起きていた可能性も考えられます。
もしも、海水温が上昇すれば、特に遠浅の海では、魚介類が増え、また漁も簡単に行えるようになります。
日本中が火山灰に覆われて、食糧難が訪れても、魚介類が豊富で漁が容易な長崎県諫早湾と、岡山県児島湾は、約3万年前の当時の人々にとっては、緊急的な避難場所としては、大変有効に機能したと想像されます。
それが、岡山県と長崎県の、現代におけるY遺伝子(Y染色体ハプロタイプ)C1aの高い分布率に現れているのかも知れません。
また、大分県宇佐神宮の神官の家系である「宇佐神宮家」に残されている伝承によると、宇佐家の先祖である宇佐族は、もともとは山背(やましろ、現代の京都あたり)に住んでいたが、北からの移民による影響を受けて、今から約7000年前に、吉備(現代の岡山県)に集団で移住したそうです。(岡山県児島湾には、1万2千年以上昔の遺跡が存在するため、吉備にも当然、先住者はいたはずです。)
不思議なことに、この宇佐族の移住したと伝承される時期が、鬼界カルデラ噴火、そしてY遺伝子(Y染色体)のボトルネックと同時期に起きたとされています。
そして、宇佐族が定住したとされるのが、遠浅の海が広がり、海産物の豊富で漁の容易な吉備だとされています。
宇佐族の伝承を書籍化した宇佐公麿氏は、この吉備移住の部分はあまりに荒唐無稽に感じられるため、自分自身は信じてはいないそうです。しかし、近年の各分野における研究の成果によって得られた知見によると、全くの間違いでは無いのかも知れません。