2025.01.04
今回は、言葉【縄文人】と【弥生人】の意味についての話題です。
解説する前の予備知識として、まずは日本列島の人類史について、時系列にまとめていきます。
【4万年前】当時は氷河期にあたり、いまよりも寒冷な気候の時代です。
朝鮮半島には旧石器時代人が、すでに生活を営んでいました。しかし、当時は朝鮮半島と日本は海に隔てられており、日本には、現生人類の存在しない島だったと考えられています。
【3万5千年前】突如として海を渡って関東地方に船で上陸した人類集団が現れました。そして、北海道を除く、日本列島全域を生息地として広がりました。
この時に朝鮮半島に住んでいた集団は、まだ海を渡ることはありませんでした。
【2万年前】氷河期が続いていましたが、とくに気温が下がる【最寒冷期】という時期を迎えました。朝鮮半島と九州が陸続きになり、朝鮮半島の人類集団が大量に日本に移住しました。
同時期に、北からもユーラシア大陸と陸続きとなった北海道に大量の人類集団が移住してきました。
朝鮮半島からやってきた集団と、もともと本州にいた集団は、見分けがつかないほど同化して、文化を共有する一つの民族となったと考えられます。
また、北海道に流入した民族は、本州を通過して九州まで生活圏を広げましたが、もともといた住人とは同化することなく、独自の文化を維持しました。
【1万6000年前】長く続いた氷河期が終わり、温暖な気候が訪れます。
この時代以降、世界の各地で農耕が始まり、人類は定住生活を始め、さまざまな文明が始まったと考えられています。
日本では、「土器」が使われ始めており、この「土器」に縄目の模様がついていることが多いため、「縄文土器」と呼ばれています。また、この1万3000年以降に日本に金属器の使用と水田耕作が開始されるまでの時代を「縄文時代」と呼びます。
さて、ここからが本題ですが、この時代に日本列島に住んでいた人たちを、「縄文人」と呼んでいます。
「縄文人」とは、1万6000年前の時点で日本に住んでいた人を指す言葉です。
遺伝子型で見れば、二つのグループが同化した「南発祥の文化」、またそれとは異なる北から来て、同化することなく独自性を守っていた「北発祥の文化」の、二つの民族が共存していました。
この時点で、【縄文人】とは、特定の遺伝子型を表す単語ではなく、また特定の民族を指す単語でもありません。
縄文時代に日本列島に居住していた人類を意味する単語です。しかし、すでにさまざまな遺伝子型と文化が同化し、また同化しないで共存していたようです。そもそも、【縄文人】には、言葉も文化も見た目も異なる2つ以上のグループが存在していました。
さらに、理解を困難にしているのは、縄文土器が発明された1万6000年前が、「縄文人」のスタートではありません。
その4000年前の氷河期の最寒冷期に、新移住者たちが日本に到達しているため、縄文時代が始まる4000年前には、縄文人が生まれていたことになります。
2万年前の旧石器時代の日本人と、1万6000年前の縄文人は、ほぼ同じものと考えてよいようです。
となると、この縄文人という名前にもかかわらず、縄文時代の始まる6000年前に縄文人が誕生したことになり、かなり理解を困難にしています。
さらにややこしいのが、【弥生人】という言葉です。
日本で稲作が開始された2000年前から、弥生時代が始まったとされています。
それ以降に日本に住んでいる人びとを【弥生人】と言い、しかもこの【弥生人】は、私たち現代日本人の直接のご先祖さまだと信じられて来ました。
まず、実は稲作が日本で始まったのは、実は2000年前よりも昔です。岡山県南溝手遺跡が3000年前、岡山県朝寝鼻遺跡が6000年前、鹿児島県では1万2000年の稲作の痕跡が見つかっているそうです。
ただし、鉄器が存在しない時代では、水田を人工的に作ることができないため、大量生産は不可能だったはずです。
弥生時代に日本に伝わったのは、稲作ではなく、「鉄器と青銅器」と水田耕作の手法だと思われます。
さて、【弥生人】という言葉の意味に話を戻します。この「鉄器と青銅器」を日本に伝えたのが、【弥生人】なのでしょうか。それとも、それまで日本に居住していた【縄文人】が新しい知識と生活スタイルを変化させて【弥生人】になったのでしょうか。
または、「鉄器と青銅器」を伝えた人びとが、日本に居住して【縄文人】と同化して【弥生人】になったのでしょうか。
縄文時代の中ごろから、中国大陸では文字が発明され、漢字による文字記録が残されるようになりました。
また日本にも漢字は伝わり、日本にも独自の文字記録が残されています。
それによれば、中国大陸や朝鮮半島からの、ある程度の規模の移住はあったようです。
その移住者が【弥生人】とは言えないと思います。
新しい文化を受け入れて、新しい移住者たちが同化した【縄文人】が、弥生人になったと考えて良いと思います。
非常にわかりにくいですが、【縄文人】と【弥生人】は、ほぼ同じもので、住んでいる時代が違うだけでしょう。
他の時代で言えば、平安人と鎌倉人はどう違うのか。また、江戸人と明治人はどう違うのか。
【弥生人】と【縄文人】には、新しい移住者の違いと、新しい生活スタイルという違いはあったとしても、本質的な部分にはあまり相違点は無いように思います。
そもそも、【縄文人】という言葉自体が、特定の遺伝子型や文化を意味しているわけではありません。
また、【弥生人】も、遺伝子型で言えば、3タイプ位は存在します。文化も華北、華南、山東省、朝鮮など、4つ以上はあるように予想されます。
【弥生人】という言葉自体が、実は何を意味するのかが、定まっていないように感じます。
縄文時代、弥生時代という言葉自体は、時代区分を意味する言葉として、理解することは容易です。
しかし、「縄文人」「弥生人」という言葉が、まるで全く別々の民族を区別するかのような使い方をされています。しかも、その傾向は考古学や遺伝子学の研究者の中にも、大変多くの例が認められます。当然、私たち一般人には、「縄文人」と「弥生人」が何を意味しているのかを正しく理解することが大変困難であると言わざるを得ません。
私は歯科医師という職業柄、最新の知識は常に修正されるのが、当たり前で、そのために日々、勉強を怠るわけにはいきません。今は正しいとされる理論が、実は間違いだったと訂正されることは当たり前です。また、自分たちは常に完璧ではない。だからこそ、必要な時は、過ちを速やかに認めて修正を行うことは、なんら恥ずべきことではありません。
ところが、考古学の世界では、ひとたび発表した研究成果が学術的に正しいとされた場合、後からその過ちが発覚した場合でも、その修正を行うことが大変に困難な印象があります。
とくに、【縄文人】【弥生人】という名称についても、今後も正しく理解されないまま、使い続けられてしまう可能性は高いかも知れません。